大正2年に公布された『学校体操教授要目』のなかで、“デッドボール”が紹介されました。その後、東京市を中心に“方形のデッドボール”が行われるようになりました。
欧米の留学から帰国した東京高等師範学校の大谷武一教授によって“円形のドッジボー ル”が紹介されて、いつの間にか、“デッドボール”も“ドッジボール”と呼ばれるようになりました。
本来、“ドッジボール”はボールのキャッチが許されず、“デッドボール”が許されていました。しかし、現在では両者を区別せず、統一して“ドッジボール”と呼ぶことが一般的になりました。
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