直径10pほどの木製球を木槌で打つ遊びは、13〜14世紀の南フランスで、パイユマイユと呼ばれておりました。これは、ラングドッグ地方の農民が、羊飼いの使う杖でボールを打ち、柳の枝を曲げてつくった門を通過させる素朴なゲームです。17世紀には、フランスとイタリアの宮廷貴族を中心にポピュラーなゲームとなり、フランスのルイ14世が好んで遊んだことは有名です。
1861年、エドマンド・ロートレッジが『クロッケーハンドブック』を発行し、イギリスやフランスで大流行し、アイルランド、スコットランドまで波及しました。
アメリカでは、コネチカット州のノートリッジを中心にし、1870年頃から普及し、1904年のオリンピックのデモンストレーション種目にもなりましたが、その後、急速に人気が衰え、協会も立ち消えとなりました。これにかわり、ローク(Roque)と いうゲームが行われるようになりました。Roque とはCroquetのCとTをとって名付けられ、1916年にはアメリカ・ローク連盟が設立されました。その後、1970年に再びクロッケー協会が活動を開始しています。
フランスでは、1870年〜1890年にかけて、クロッケーの愛好者は、テニスの愛好者よりも多かったと言われております。
現在、フランスではデパート、スポーツ用具店などでクロッケーのセットが販売され、イギリス式のクロッケーのように競技化せず、レクリエーション・ゲームとして行われています。
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