教室開催お知らせ利用予定表教育の中の水泳/連載10





 昨年の話題映画「隠し剣・鬼の爪」では、近代的軍事訓練に励む江戸末期の武士たちが行進や駆け足を行っている様子を描いています。右足と同時に右手が出、左足と同時に左足が前に出るぎこちない歩き方で行進するので、観客はその場面に大笑いしていました。駆け足も、両手を腰に置き手を振らないので速く走れません、この場面でも館内爆笑でした。
 「歩く・走る」は習わなくても出来るが、泳ぎは習わないと出来ないと言われますが、本当でしょうか。手を振って歩く、駆け足をする、行進する、いずれも「泳ぐ」に比べれば簡単なことのように思われます。しかし、実際日本人が手を振って歩く、駆け足をする、行進ができるようになったのは、西洋式軍事訓練が導入されてからです。
 山田洋二監督は、「隠し剣・鬼の爪」で、当時の人々の身体技法の事実を明らかにしたのです。
 日本人の伝統的な歩きはナンバと呼ばれる動きです。身体を捻らないので疲れが少なく、長く歩いたり走ったりできると考えられます。江戸時代の浮世絵を見ると、飛脚の姿からその様子を窺うことができます。極端に言うと、同じ側の手足が一緒に出る動きで、相撲の押し、剣道の打ち込みなどがその一例です。鍬や鎌を使うときの動きもそうです。納得できない方は、ぜひ絵巻物などに描かれている動きのある人物の姿を確かめてください。
 水泳に例を移してみると、「伸し」と呼ばれる横泳ぎや抜き手など日本泳法はナンバの動きです。一方、クロールや背泳は、手足が交互に動き、身体が捻れます。ですから、創意工夫に富み、様々な泳法を生み出した日本泳法でも、江戸時代にはクロールや背泳ぎは想像もできなかったようです。
 西洋式軍事訓練は、学校への兵式体操の導入により全国民に広がっていきます。学校では、行進や集団行動を毎日のように実施しました。政治や社会の仕組みの西洋化だけでなく、身体動作の西洋化も図られたのです。私たちが簡単に手を振って歩き、駆け足が出来るのは、すでにそのような動きを習得した祖父母や両親に育てられ、学校でさらに集団行動を習うからなのです。
 私は、駆け足、行進が出来るようになっていなければ、クロールや背泳ぎが普及することは無かったと考えています。  クロールがわが国に伝えられたのは、文献により多少の差はあるものの、明治45年から大正2年の間です。背泳ぎは大正9年以降です。そのころは、すべての小学校で行進など集団行動が指導されており、西洋式の身体技法は定着していました。ですから、クロールや背泳ぎの普及は順調だったと思います。
 西洋式の身体技法を身に着けることは、近代スポーツや軍事活動には大変効果的でしたが、日本人が本来持っていた動きを失いました。美しく無駄の無い日本人本来の立ち居振る舞いは、能、歌舞伎など伝統芸能の世界でしか見られなくなりました。そのため、時代劇で、武士本来の立つ、座る、歩くなどの所作ができる役者は一握りといわれています。

高岡短期大学教授 立 浪  勝