HEALTH SWIM in TAKAOKA Vol.21

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教育の中の水泳-連載21回

質問に答えて ー水泳文化史への誘い(2)ー

富山大学芸術文化学部教授 立浪 勝

 筆者は、スポーツが庶民の暮らしに与えた影響を研究しています。その過程で得た水泳に関する資料の中から、教育との関係が深いものを取り上げ、本誌に「教育の中の水泳」と題して連載してきました。本連載がネットでも読めるため、テレビ局や新聞社からの問い合わせや取材もありました。また、パーティーなどで出会った方から「連載のファンです」と声をかけられ、驚いたこともありました。
 今回は、連載20を終えた区切りに、読者の方から寄せられた質問に答えたいと思います。

<質問> 調査で訪れた町で印象に残っているところは。
 まず1番目は愛媛県大洲市の街並みです。NHK朝の連続ドラマ「おはなはん」の舞台として知られましたが、水泳にも関係が深いところです。肱川という川が町の中心を流れています。名前の通り、お城の下で肱(肘)のように直角に曲がっています。大洲は、古式泳法神伝流発祥の地で、いまでもこの肱川で夏には神伝流の水泳教室が開催されています。2番目は、山口県萩市です。日本最古のスイミングプールと称される水練池にはとても感動しました。明治維新で活躍した長州藩の武士たちがここで泳いだかと思うと、調査の意欲が湧き上がってきました。

<質問> 戦前は国民学校で水泳が必修だったというのは本当ですか。
 本当です。昭和16年国民学校令という法律が公布され、全ての小学校が国民学校と名称を変えました。教育内容も大きく変わりました。集団登校、朝礼など、いまでも行われている教育指導が始まっています。教科の名称も変わり、身体の教育に関わる体操科は体錬科となり、さらに3年生以上の授業時数が倍になりました。体錬科の内容は、体操と武道となり、水泳は体操の内容の一部に含まれています。次第に国民皆泳運動が強化され、昭和18年には国民学校で水泳が必修の扱いを受けるようになりました。多くの小学校で厳しい水泳訓練が行われていた様子が当時の記録からも伺えます。
 富山県福光町に学童疎開していた東京女高師附属小学校児童の絵日記の中にも水泳訓練の様子が描かれていますので、学童疎開中でも熱心に行われていたようです。個別の学校では、最も早く必修にしたのは、乃木希典が校長をしていた学習院初等科で、明治40年5月26日の父兄会で「遊泳はこれまで初等科4年以上随意でありましたが、本年より、初等科5年以上とし、而も第6学年には必修とする。」と宣言しています。

<質問> いま最も興味を持って調査していることは。
 『江戸の子育て*1』という著書に「この時代の史料には、武士の子が水泳を習うことに触れたものが多く見られる」との記述があります。「この時代」とは、江戸時代末期のことで、当時の武士の日記などを探し、水泳に関する記述がないか読み進めています。江戸末期は、しばらく途絶えていた武士の水泳訓練を復活させた藩が多く、混乱期に軍事力を強化しようとする動きのなかで、武士の子弟の習い事として水泳が再評価されていく様子が伺えるのではないかと、とても興味深く調査しています。

カナダでの水泳教育写真<質問> 海外と日本の水泳教育の違いは。
 カナダで、関節炎患者の水泳教室を1年間体験しました。水泳と医療との密接な関係、個人の症状や身長によって深さが選べるプールの存在など、学ぶことは多かったです。また、幼児にライフジャケットを着用させて、最初から深いプールに入らせる水泳指導にも驚きました。湖の多い国で、家族でのカヌー旅行が盛んな生活習慣から生まれたものでしょう。

*1:『江戸の子育て』、中江和恵著、文春新書

 

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