HEALTH SWIM in TAKAOKA Vol.15

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教育の中の水泳-連載15回
国家総動員体制下の水泳事情
富山大学芸術文化学部教授 立浪 勝

 第12回オリンピック(皇紀2600年オリンピック)は、昭和15年に東京で開催されることになっていました。しかし、日中戦争の拡大から軍の支持を得ることが出来ず、昭和13年7月15日、木戸幸一厚生大臣は「内外の事情を考慮して中止と決定した」と発表しました。
 オリンピック大会の中止決定は、開催都市の組織委員会が決めることですが、政府の決定に逆らって開催することは事実上不可能なことです。大会招致に努力した多くの体育関係者はどれほど落胆したか計り知れません。昭和14年団体長距離競泳全国大会に出場した東京文理大学チームと全泳証明書(茗水100年史より)
 第12回オリンピックが東京に決定したのは、昭和11年に開催されたベルリン大会前日のIOC総会でした。国際連盟を脱退し、国際社会で孤立を深める日本に多くの票が投じられた背景には、ロサンゼルス大会での日本水泳選手が獲得した5個の金メダルがあったと思います。私は、日本スポーツ界への尊敬から、政治とスポーツは別だと言う大義名分が働き、多くのIOC委員が東京に投票したのではないかと考えています。それだけに、政治に負けた形の中止決定は、その後の日本スポーツ界の方向を予感させます。
 オリンピック東京大会中止を決定した昭和13年はどのような年だったのでしょうか。
 昭和13年1月、新たに厚生省が設置されました。国民の体力低下と兵士の結核罹患率の高さは、兵力増強を望む軍にとって大きな問題となっており、厚生省はこの対策のために設置されたのです。オリンピックの所管も厚生省に移りました。4月には国家総動員法が公布、5月には施行されました。
 6月28日、厚生省体力局から道府県知事宛に、8月1日より20日まで実施する国民心身鍛錬運動に関する通達が発せられました。内容は、
一、青少年には可成泳げぬ者無からしめる様、特に指導奨励すること。
一、熟練者には遠泳操櫓等を奨励すること。
一、川、河川、湖にありては、其の土地の状況により、周知なる注意をなし、危険防止に努むると共に、水泳池の消毒及掃除に努むること。
と、水泳による心身の鍛練を奨励しています。
 8月7日、第1回団体長距離競泳全国大会が開催されます。日本水上競技連盟が主催ですが、厚生省と海軍省が後援しています。4名の泳者が一人の指揮者の指示にしたがい、助け合いながら一致団結して初島から熱海まで泳ぎ切る競技です。戦時体制の強化はあらゆる場面に、“協力一致”の精神を養うことを求めました。水泳競技も無縁ではなかったのです。大会は、海が荒れていましたが強行され、その結果途中棄権が続出します。無事ゴールした入賞チームは海軍兵士で編成したチームばかりでした。「敵前上陸レース」と報じた記録もあるほど過酷な大会だったようです。この大会は、翌年の昭和14年にも開催され、開会式では、「太平洋はいついかなる時でも日本が占領しなければならぬ」と海洋日本を強調した雰囲気で行われたようです。
 まもなく夏本番。海もプールも水泳を楽しむ人々で溢れます。健康のため、楽しみのため、仲間がいるからと目的は様々ですが、平和な時代に水泳を楽しめることを大切にしたいものです。

 

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