各種大会お知らせ利用予定表教育の中の水泳/連載8





 昭和13年8月28日、第1回国民皆泳全国学童水泳大会が全国一斉に開催されました。NHKの放送網を通じ、中央会場と全国各地の会場をつないだので、全国各地の雰囲気と記録を共有することができました。
 中央会場の明治神宮プールでは荒木貞夫文部大臣を迎え盛大に開会式を行っています。荒木文部大臣は式辞で、“わが国は別の名を大八州国と申します”と始め、海洋日本を強調しています。さらに、“今日のプール其他の水は静かな水でありますが、この静かな水に技を競うのが水泳の本質ではありません。静かな水に親しむと同時に山なす太洋の真ん中の怒涛にも、紺碧の千尋の深き水にも恐れずこれを克服することの気概を養うの心掛けがなければなりません”と、何者も恐れぬ強い精神の育成を水泳に期待しています。さらに、水泳を通して“協力一致の精神”を養うことが強調され、大会の種目は500mリレーだけでした。一人50m泳ぐので、1チーム10人で編成しました。
 第1回の大会記録によれば、富山県は7会場で実施され、延べ757人が参加しています。参加校は15校でした。福井の9423人、71校には及びませんが全国並みの参加状況です。尋常科男子の部で魚津が全国4位の記録を出し、全国20傑に名を列ねています。当時の魚津の小学校における水泳教育の熱心さが窺えます。
 実は、文部省と日本水泳連盟は昭和初期から全国水泳指導者講習会を実施し、全国各地から推薦された教員を集めて指導力の向上と標準泳法の普及に努めていました。標準泳法とは、クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・抜手・伸泳(横泳ぎ)立ち泳ぎ・潜水です。当時の小学生に近代泳法と伝統泳法を併せ持つ、幅広い泳力を求めていたことが分かります。
講習会の後、検定合格者には公認指導者資格を与えています。昭和14年度合格者名簿には、元富山県水泳連盟会長高田秀男氏の名前があります。合格率から見る限り、かなり厳しい試験だったようです。
 昭和初期の東京市内小学校の記録を見ると、水泳指導はかなり熱心に実施されています。全国指導者講習会に参加した教員のいる学校ほど力が入っていたようです。その背景には小学校プール建設の増加があります。大正12年、東京市礫川小学校(現在文京区立)に小学校としては全国初のプールが完成しています。プール開きの前に関東大震災が起こり、市民の飲料水として役立ったという記録もあります。その様な理由もあってか、その後小学校のプール設置は増え続けていました。
 国民皆泳全国学童水泳大会は昭和19年まで7年間実施されました。戦後、昭和28年「国民皆泳の日」の行事は復活しますが、そのいきさつは次の機会に。

高岡短期大学教授 立 浪  勝



昭和13年8月28日秋田市で開催された国民皆泳学童水泳大会の様子
(秋田歴史写真館資料より)