トレーニング紹介お知らせ利用予定表教育の中の水泳/連載9





 沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」には、戦争の犠牲となった「ひめゆり学徒」一人ひとりの写真と簡単なプロフイールが展示されています。その中には、「水泳が得意」「クロールで見事に泳いだ」など、水泳が好きなことがわかる文章がいくつもあります。「ひめゆり」とは併置校である沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の愛称です。「ひめゆり」にプールが完成したのは昭和18年2月のことでした。長年生徒が積み立てたお金でようやくプールが設置されました。プール開き(写真参照)には知事やオリンピック選手も参加しました。沖縄では初の、生徒には自慢のプールでした。
 戦争がなければ、このプールでの授業はいつまでも続き、多くの生徒が卒業後教職に就き、子供たちに水泳を教えたことでしょう。
 戦時下のプール建設は、国民皆泳完遂のためだけでなく、集団的勤労作業体験の場として、防火用水として推奨されました。
 富山県内学校プールの始まりは、砺波中学が昭和2年に生徒の勤労奉仕で設置した25mプールと言われています。魚津中学も昭和11年生徒の勤労奉仕でプールを完成させています。大阪・茨木中学の紹介の稿で書きましたが、生徒の勤労奉仕でプールを設置することは全国的に行われており珍しいことではありませんが、大変だったと思います。ですから、当時の生徒の作文に「誇りのプール」という文章がよく出てきます。
 学校プール設置は、関東大震災後急速に進められました。前回お知らせしたように小学校としては全国初の東京市礫川小学校のプールが震災のときに大変役立ったことが大きく影響しています。一方、海洋日本、海外進出の風潮は国民皆泳運動の全国的広がりを生み、女子の水着姿が珍しかった大正の中期ころから、女子師範学校・高等女学校などでは臨海教育が盛んに行われ、水泳指導は必修になってきます。熱心な学校は、天候の影響を受ける海や川での水泳指導を嫌い、プールを建設しています。将来小学校の教師になり、水泳を指導することを想定したからだと思います。その証拠に「教員皆泳」と言う標語が全国の女子師範学校の記録を調べると出てきます。
 富山県では、富山県女子師範学校・富山県立富山高等女学校のプールが昭和6年に完成しています。両校は大正7年から臨海教育を始め、水泳指導を熱心に行っていましたが、プール設置後は臨海教育を止め、プールでの水泳指導に一本化しています。校内水泳大会を開催するなど富山県内では、水泳教育の先駆的役割を果たしています。(参考文献等は連載最終稿に一括掲載します)

高岡短期大学教授 立 浪  勝



写真提供(ひめゆり平和祈念資料館)