HEALTH SWIM in TAKAOKA Vol.17

HEALTH SWIM TOP第4期教室受講生募集利用予定表|教育の中の水泳/連載17|  |バックナンバーに戻る

HOMEHEALTH SWIM TOP>教育の中の水泳/連載17

教育の中の水泳-連載17回

文学の中の水泳ー『新・花の百名山』よりー

富山大学芸術文化学部教授 立浪 勝

 『新・花の百名山』は、NHK朝の連続ドラマ「虹」や「うず潮」の脚本家で知られる田中澄江の著書です。私が歩いた山では、医王山、早月尾根、大日連峰、白馬岳が選ばれていました。白馬岳の項に水泳に関する記述があります。水泳教育に関心がある人には興味深い内容と思いますので、その部分を以下に引用します。
「私が十九歳で卒業したのは、府立第二高女に併設されていた府立女子師範で、今の学芸大学だが、夏の登山部は、富士山や浅間に登り、水泳部は千葉県の天津で一週間は泳ぎ、それから私は一夏を千倉で泳ぎ、海岸はいつも若い娘や青年で溢れかえっていた。昭和三年から入学した東京女高師は今のお茶の水女子大学で、その水泳部の先生は水泳連盟の松沢一鶴氏。体育の正課として、飛びこみからクロールから平泳ぎをやらされた。」『新・花の百名山』の表紙(文春文庫刊)
 大正末期から昭和の初めは女子の高等教育機関での水泳教育が盛んになり、高等女学校や女子師範学校が積極的に臨海実習を始めていることはすでに本連載で触れていますが、『新・花の百名山』の記述はそのことを裏付けています。また、夏の海岸に遊ぶ若者の姿は、自由で明るい雰囲気が漂い、やがて来る戦時体制を予感させません。
 水泳教師として登場する松沢一鶴氏は、ロサンゼルスオリンピック(1932)とベルリンオリンピック(1936)で日本水泳監督として水泳日本黄金時代を築き上げた人です。せっかくの機会ですので氏の指導者としての業績を簡単に紹介しておきます。氏は、コンディションを整えることを大変重視した指導者です。特に、ロサンゼルスオリンピック大会で選手の体調維持のため、酸素吸入とビタミンB錠剤を用いたことは、選手強化に医科学サポートを行った例として、今日でも学ぶべき実践といえます。また、陸上での体操を重要練習メニューとして取り入れ、代表選手の事前合宿やロサンゼルスへ向かう船の中で、選手にデンマーク体操を指導しています。ベルリン大会のときは、候補選手合宿でデンマーク体操を主とした補助体操を専門家の協力を得て創り上げ、選手が身体で覚え習慣化するよう行っています。その成果は、両大会で獲得した多くのメダルが証明しています。このような優れた指導者が女高師でどのような指導を行っていたのか調査したいと思っています。
 女子師範学校は、小学校の教員を養成することを目的とし、昭和の初めにはすべての県に設置されていました。女高師は、女子高等師範学校の略で、高等女学校と女子師範学校の教員の養成が目的とされていました。『女子師範学校の全容』(新福裕子著、家政教育社)という著書及び示された参考文献を基に、女子師範学校の水泳教育の実態を調べてみました。水泳プールは、北海道・東北を除くと、ほとんどの学校に設置してありました。戦時中のため、防火用水と利用目的を変えて許可された例もありました。設置してない学校も、計画進行中に戦争が拡大したために中断したなど、止むを得ない理由がありました。プールが設置されても、多くの学校は1週間程度の期間は臨海教育を実施しています。水泳指導だけでなく、学生の保養や集団訓練も目的としていたからです。昭和18年に沖縄女子師範学校(ひめゆり)が、長年の夢をかなえ、プールを設置したことはすでに別の稿でお知らせした通りです。
  • 『新・花の百名山』の表紙写真使用許可済み(平成19年12月3日)

  • 参考文献 :『水泳』、日本水上競技連盟機関雑誌 No13〜No41

 

ページの先頭へ戻る▲

 

HEALTH SWIM TOP第4期教室受講生募集利用予定表|教育の中の水泳/連載17|  |HOME